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  • TOYOFUMI KATAGIRI

科学とは本質にあらず

更新日:1月23日

科学とは「物理的な概念の器における謎解き」である。


すなわち、観測可能な世界において、一定の法則を導き出す行為である。


ニュートンの万有引力の法則によって重力が数式で表され、そしてアインシュタインの特殊相対性理論に重力を組み込んだ一般相対性理論が発表され、光と時間、重力との関係性を数式で計算できるようになった。


また、ハッブルが宇宙は膨張していることを発見し、その後、宇宙の膨張は加速していることがわかると、一度は撤回したアインシュタインの宇宙定数が再び注目を得た。


小学生の時に相対性理論をマンガで読んで、光速で移動すると時間が遅く進むことも、重力によって時空が歪むことも理解できたし、宇宙が膨張しているのもわかった。

しかし同時に、その膨張している宇宙の外側はどうなってるの?という疑問が生まれた。小学生ながらにこの疑問に対する答えなど存在しないことくらいわかるし、その時点で物理学には限界があると悟った。

さらに、ミクロの宇宙でもある素粒子の世界、量子力学においても研究が進み、仮に量子論と一般相対性理論が統合できたとしても、それは現象における数式的な解明である。


加速器を使って素粒子をどんどん小さく砕いていっても、結局は宇宙の外側と同じでそれは無限のループに入っていくだけである。


無限というのは科学の世界では「分からない」を意味する。


すなわち、物理学ではそれそのものが発生する仕組みや、それ自体が何なのかを知ることはできない。


よって、世界は「分からない」の内側にある「概念の器」の中で存在していることになり、そこに「本質」はない。

当然、時間とは概念であり、その概念の中の条件によってのみ存在意義を持つ。


余談だが、「過去」というのは人間の記憶であり、「未来」というのは「過去」なしには存在すらできない。「今」以外の時間はそもそも存在すらしていない。

大きい小さい、内側外側、遅い早いなどは、まさに概念であって、私たちが膨大な外と考えている宇宙も実は視点を変えるとミクロの世界になりうるものであり、人間が捉える意識にすぎない。


ラブロックのガイア理論とは、まさにそういった視点の意識のことをいうのだと思う。


そこで、その概念を作り出してるものは何かという問いである。

内心そこに答えはないと知りながらも、ずっと科学の世界を探究してきたがいっこうに見当たらず、諦めた頃に「自分の中」に答えがあることを知った。


その答えは「マインド=意識」であり、このマインドこそが世界(宇宙)の外側?内側?あるいはそれ以外の何かに繋がる扉になる。

そしてその扉の「鍵」になるものが「観照意識」である。

観照意識とは、この概念=意識(視点)そのものを俯瞰するために、そのマインド自らに内蔵されたツールであり、瞑想とはこの観照意識を使って「精神的な世界」すなわち「本質=ゼロ」に近づくための道である。

「得る、獲得するといったことを追及する」物理的な世界と、「ゼロに向かう」精神的な世界は、呼吸のようなものであると考えている。

現代人は、得ることを優先しすぎているために、呼吸で言えば「吸いつづけている」=過呼吸になり、溜め込みすぎた過去の情報に乗っ取られて、自分自身をコントロールできない状態に陥ってしまっている。

人間としてバランスを取るためには、吸うことはもちろん必要だが、吐くことも必要である。

Mindを収めて「物理的な意識=Body」と「精神的な意識=Spirit」を統合させて、この呼吸のバランスを整えるための方法論を「ホリスティック」という。


吸いすぎに注意。吐くことも覚えて欲しい。



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