人は、ネガティブな出来事があると、その出来事を振り返ることで、その出来事自体に意味を持たせ、ポジティブに捉えようとする。
一見すると、これを「気付き」だと思いがちだが、これは単にネガティブな思考をポジティブな思考で上書きしたに過ぎない。要するにマインドをマインドで上書きしただけに過ぎず、結局マインドは以前と変わらずうるさいままである。
このように、マインドの問題は、決してマインドでは解決することはできない。なぜなら「思考=マインド」そのものが問題の原因だからである。
マインドがネガティブからポジティブに変わり、一時的に「満たされている」感覚になったとしても、それがマインドである以上、いずれマインドはまた騒ぎ出す。故に、マインドの問題を真に解決する唯一の方法は、「マインドの中身=過去」をほじくり返すことではなく、マインドの「仕組み」そのものを理解することである。
「観照意識」はそれ自体がマインドの一部であるが、そのマインドの構造を理解し、収める唯一の機能である。
さらに、この「観照意識」を、マインドを超えたところにある「純粋意識」に昇華して行く過程は果てしない旅ではあるが、プラクティスを続けることで辿り着くことができる旅である。
バイオダイナミック・クラニアルオステオパシーとは、その人を旅のスタートラインに導くためのものであるが、そのスタートラインを認識して歩き出すかどうかはその人次第である。
そして、スタート地点からその先は、他人が導くことはできない。必ず自分で行かなければならない。大切なことは、まずはそのスタートラインを認識し進むことである。それさえできればゴールは遅かれ早かれやってくる。
しかし現実は、せっかくスタートラインまで連れて行っても、そこに背を向けてまた「マインドの森」に帰って行く人がほとんどである。
人はこの「価値観のジャングル」から抜けられないのか?もしくは「自ら」そこに留まっているのか?その「自ら」というのが実は「価値観=虚像」そのものであることを知ってか知らずか、、
マインドの森から出るということは、人間「が」作り出した自分の価値観や他人の価値観、世の中の全ての価値観から解放されると同義である。それらの価値観=マインドを超えて行くと、人間「を」作り出した英知に気づく。
その「気付き」そこが真のスピリチュアリズムである。

Comments