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  • Writer's pictureTOYOFUMI KATAGIRI

ホリスティック医学としてのオステオパシー

Updated: Jan 24, 2022

クリニックに来られる方の多くが、首や腰などの「痛み」を訴えるケースが多い。


そして、ほとんどの方がその痛みを取り除いて欲しいと言って来院される。


しかし、率直に言って「痛み」は取り除くことができない。


なぜなら、その「痛み」は、あなたの体の一部だからである。


薬は痛みの原因を取り除くわけではなく、応急処置に過ぎない。


我々が行っている施術ですら、対処療法に過ぎないことの方が圧倒的に多い。


無論、漢方やサプリメントなども、根本療法ではなく対処療法の域を越えることはない。



では、何が原因なのか?


もちろん、打撲や捻挫など明らかに原因がフィジカルにある場合は、損傷した箇所が癒えるのを待つしかない。


その場合、我々はその治癒のプロセスを遅らせる要因を取り除くのが仕事となる。


すなわち、血流、リンパの流れ、神経、呼吸、脳脊髄液の流れなどを妨げるものがないかを探り、それを取り除く。


しかし大半の場合は、そういった物理的な原因が見当たらないことが多いのが現状である。


実際に、整形外科に言ってレントゲンやMRIなどでもまったく異常が見当たらず、医者からも原因はわからないと言われるケースが多い。


すなわち、いくら「カラダ」を調べても、そこに決定的な原因を特定できず、せいぜい痛み止めの薬を与えられるのが一般的である。



そこで疑うのが、「マインド」である。


このマインドはいわゆる「心」の部分だが、簡単に言うと「思考」である。


マインドは、生まれた時は空っぽの箱だと考えてほしい。


時間の流れとともに「知識」や「経験」によって「情報」がどんどん蓄積されていき、これら「過去の情報」が「価値観」を形成していく。そして、その価値観をもとにある特定方向に向かうプロセスを「エゴ」と呼ぶ。


「好きや嫌い」、「正義と悪」、「右と左」、「上と下」など、これら全て単なる個人の価値観に過ぎない。


そして、常識とはこの「価値観」の集合体でしかない。


この「価値観」は当然、人によって全く違う人もいれば、似ている場合もある。


この世では、この価値観の違いによって、ストレスや争いごと、しいては戦争に発展する場合もある。



ここでは「マインド」の仕組みについては置いておいて、体とマインドの関係を少しお話する。


人の体において、自分の意思でコントロールできる範囲はほんの一部分に過ぎない。


その大半が不随意、すなわち自律神経系によって支配されている。


ただし、この自律神経系もこれ自体が全てを決定するわけではなく、「マインド」の影響を大きく受けている。


例えば、過去の嫌な経験を思い出すだけで、心臓の鼓動が早くなったり、未来に起こるであろうストレスを想像しただけで呼吸が荒くなったりする。


そして、長年培ってきた思考の癖や思い込み、強迫観念などが年齢とともに積み重なり、さらに精神的もしくは物理的ストレスが加わることで、自律神経系に大きな負担をかけてしまう。


この自律神経のアンバランスは倦怠感や疲労感、痺れや痛み、動悸やめまい、不眠や食欲不振などさまざまな身体的影響を及ぼす。


最初は疲労感や倦怠感などに現れ、我慢強い人ははギックリ腰などの症状で現れたり、放っておくと鬱やパニックなどを引き起こす場合もある。


この場合、いくらマッサージや物理療法など体に対するアプローチを行なっても、一時的に楽にはなるにせよ、問題の解決にはならない。



では、どうしたらいいか?


ヒントはやはり「マインド」にある。


マインドは先ほどお話しした通り、その人の思考である。


先述の通り、マインドは「知識」や「経験」すなわち「過去の情報」をもとに作られ、そこから価値観やエゴを生み出す。


すなわち、さらなる「情報」は価値観を増強し、エゴの餌となる。


しかし、このスマホでいつでもどこでも情報が仕入れられる時代、多くの人が自身の価値観とエゴを日々増強し続けいている。


そして、この「情報」が増えすぎると、どうなるか?


マインドがその人を支配するようになる。


本来、マインドはその人によって「支配される」ものである。


人生を豊かにする「道具」として、しっかりとコントロール下に置き、うまく使うことが重要である。


それが、「支配する」側になってしまい、その人はもはやマインドに乗っ取られた状態になる。


考えたくないのに考えてしまったり、寝たくても頭が冴えてしまったり、欲望や感情を抑えられなくなってしまったり、、、みなさんも思い当たる節はないだろうか?


この状態が続くと、交感神経系が刺激され続けて、体の自然治癒力や免疫力はどんどんと低下していき、最終的に病気になる。


もちろん「情報」をシャットアウトすることは、アレルギーのアレルゲンをシャットアウトするのと同様「対処」にはなる。


しかし、今の世の中それは現実的ではない。



ではどうするか?


それは、まず「情報」によって感情が掻き乱される仕組みを知ることである。


感情は、マインドに蓄積された不都合な「情報」を思い出したり、その「情報」をもとに将来を予測したり、その「情報」をベースとした自分の「価値観」と違う他人の価値観とが相容れない場合に「怒り」や「不安」などを生み出し、それがストレスとなっていく。


また、それが仮にポジティブな感情、例えば「満足感」や「幸福感」であっても、結局は「エゴ」を助長していき、結果的にはストレスを生み出す。


すなわち、感情の種類が自分にとって心地の良いものであっても、度が過ぎると最終的にはストレスを生み出す。


ここで大切なポイントは、度が過ぎても欲しがる自分、様々な情報に不安を感じてしまう自分、他人の価値観を受け入れられない自分、自分の価値観を他人に強要する自分など、自分の心の挙動や癖を客観的に観照するということである。


それは、自分が「マインド」の中にいて、感情を生み出す中心にいるうちは見つけることができない。


別の言い方をすると、「マインド」の外に出ることによって冷静に観察することができる。



「マインド」の外側から自分のマインドの挙動や癖を客観視することを、瞑想=メディテーションという。


メディテーションを行っている間、その人は自分のマインドの外側にいる。


それは、マインドに蓄積された過去の情報にアクセスしていない状況を作り出し、過去の情報にアクセスしないということは未来への予測もできない状況、すなわち時間軸が「今=現在」のみに止まっている状態を意味する。


仮に、マインドが自ら思考を作り出したとしても、自分は思考の外にいるので、自分からは「ただマインドが思考をしている」と認識するだけにとどまる。


主人のいないマインドは、いくら情報の蓄積があっても、そこから感情を作り出すことができない。


この状況をもって、体はマインドの影響を受けずに、自律神経系は本来の仕事をすることができる。


また、副交感神経系が正しく働くことによって、体自身が持つ強力な自然治癒力は目を覚ます。


さらには、マインドが静かになることで「スピリット」が姿を現す。


というよりも、スピリットが「常にそこに在った」ことに気づくのである。

スピリットはいちいちマインドのように喜んだり落ち込んだりしない。


ただただその叡智とともに、静かに、圧倒的に存在する。



話が長くなったが、私が今行っているオステオパシーのテクニックのうち、「バイオダイナミックな頭蓋仙骨療法」が、この「マインド」にアプローチしてニュートラルな状態を作り出し、スピリットの存在とともに、体自身がもつ真の治癒力にアクセスすることができる唯一の手技である。


このバイオダイナミックなアプローチは別名「non-doing=非介入」のアプローチと言われている。


すなわち、施術者側に一切の意図があってはならない。


意図がないということはエゴがないという意味である。


このブログを介して、世のみなさまにこういった手技が存在するということを主張することすらもエゴの一つである。


ゆえに、今となってはなぜ頭蓋仙骨療法の発案者であるDr.サザーランドが亡くなる7年前に、当初のコンセプトであった「人間の意図を用いる物理的なアプローチ」ではなく、この非介入のバイオダイナミックなアプローチに目覚めたのか


そして、何故その詳細に関して語らずにこの世を後にしたのかを、今ようやく理解することができる。



最後に、オステオパシーが求める、真の自然治癒力とBody/Mind/Spiritのホリスティックなコンセプトが、この物理的、合理的な世の中においてもなお、その中心にあることをお伝えしたい。


Dr. サザーランドが唯一墓跡に残した言葉とともに。


Be still and know. / 静まりて知る。




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